平成25年2月4日(月)~5日(火)、南三陸町周辺の視察に参加しました。当協会があたみ桜を植える可能性のある場所を確認し、被災地の今の姿と現地の方々の声を見聴きし、プロジェクトの意義について感じ取ることが目的です。引率はJHP理事の山岡修一さん。桜の品種を研究なさっていて、やはり桜の寄贈を予定されている国立遺伝学研究所の舘野先生とご一緒しました。
多くの児童や教諭が亡くなった大川小学校、屋上まで津波に洗われた南三陸町役場の「防災対策」庁舎、大きな漁船が海岸から600m内陸まで運ばれた気仙沼の地点など、悲しい被害で広く知られるようになってしまった象徴的な場所も何箇所か訪問し、慰霊のために手を合わせました。
震災から2年近くが経ち、津波被害にあった場所では壊れた建物や瓦礫の撤去、潮をかぶり立ち枯れた樹木の伐採などが進んでいました。海岸線を車で通ると、平地には「何も無い」光景が続き、戦争直後の焼け野原の写真を思い出しました。撤去後の土地利用・都市計画についてはほとんどが未だ白紙状態のため、桜を植える場所もなかなか決まらないそうです。
一方住民の皆さんは、生活再建に向けてゆっくりとではありますが、歩き出しています。助かった船を使って漁をしている漁師さんたちが、海から帰宅するときに家の周りに桜が見えたら嬉しいだろうと言って、当プロジェクトの桜を求めてくれています。
桜プロジェクトについては、今年度は南三陸町営神割崎キャンプ場が中心的な植樹場所となっています。町民や近隣住民の憩いの場所で、公共の土地であり、高台にあるため植えるスペースがたくさんあります。被災地の産業の将来を考えたときに観光は大きな望みであるため、木が大きくなった頃に桜の名所として多くの人が訪れてくれることに期待がかかっているようです。しかも、河津桜やあたみ桜などは開花期間が長いため、メリットが大きいのです。
こうした公共の場所以外にも、個人の家や民間の開発宅地への取り付け道路などにも伊豆の桜は植えられるとして、プロジェクトでは植樹希望場所を募っています。これまで20回以上も南三陸町を支援のために訪れている山岡さんは、私達の視察中も、顔なじみになっている住民の皆さんに手作りのチラシや河津桜祭りのパンフレットなどをあちこちで手渡しながら、「あなたのお宅にも希望があれば植えますよ」と声掛けをしていました。こうした顔の見える関係が支援には欠かせないと感じました。また被災者が今後仮設住宅から出て家を建てられるようになった際に、桜は、支援者からのお祝いにもなり、被災者にとっては大きな励みにもなりそうです。
なお、あたみ桜をこの秋に植える場所はまだ決まっていませんが、植樹の際には、なるべく熱海からも会員が参加して、現地の方々とも一緒に植えられたらいいなと感じました。
熱海国際交流協会 事務局 植田史枝